かじさんのつれづれなるままに

映画や読書 スポーツ(相撲)についてぼちぼち書き込むブログです

再び見てみた『ある日どこかで』

ある日どこかではかなり以前に見た作品です。
タイムスリップものでロマンチックな物語でした。
(脚本家の男性が過去にタイムスリップして
恋に落ちるという話 1980年 アメリカ)

最初に見たときは、せつないロマンスという印象で
結構好きでした。
時間がたって再び見てみた感想。

時空を飛び越える方法というと
『バック トゥ ザ フューチャー』みたいに
時空を超える装置があるパターンと、
テルマエ ロマエ』みたいに理由は分からないけど
移動してしまうパターンがあります。
ある日どこかで』は意図的に時間を遡るパターンなのですが、
その方法が
過去の物に囲まれていて、
場所や環境が完全に過去のような雰囲気である状況で、
自己暗示をかける
というものでした。

えー!?
そんな方法でタイムスリップできるんですか!?

主人公のリチャードは服から帽子から身につける物、
持ち物すべてを1912年の物にして
ひたすら心を無にして
「1912年、6月27日」と自分に自己暗示をかけるのでありました。
こんな方法でタイムスリップできていいのだろうか・・・?
偶然にタイムスリップしちゃった、という話でも
いいような気がします。

タイムスリップの方法はともかく
リチャードとエリーズが恋に落ちる過程や、
1912年当時の雰囲気がいいです。
しかし、いきなりエリーズと会って話をしようとするリチャード、
大胆というか無謀では?
68年後から来ました!って自己紹介しそうな勢いでエリーズを探してますよ。
(会ったらどう自己紹介するつもりなんでしょう?)
リチャードは強引過ぎるような気がしないでもないです。
タイムスリップまでしてエリーズに会いに来たのだから
もうぐいぐいと彼女とお近づきならねば!
という勢いですよ。
よほど自信があるのでしょうか、
彼女に嫌われるとは全く思ってないようですね。

最初に見たときも、二回目に見たときも腑に落ちなかったのは
結末です。
エリーズと結ばれたのもつかの間、
リチャードは突然に1980年に引き戻されてしまいました。
リチャードはショックのあまり抜け殻のようになり
衰弱して意識朦朧となって・・・
天国でエリーズと再会?
というような結末でした。

えええー
そんな結末ってどうなんですか?
あの引き裂かれ方が相当ショックなのは分かります。
幸せの絶頂で二人楽しく語らっていた時に
突然リチャードは現在に戻ってきたのですから。
もう二度と会えない、それは辛いです。
だからって抜け殻の衰弱とは。
なんて生きる力のない男なのか、リチャードよ!

エリーズの方がもっと辛かったはずです。
やっと巡り会えた最愛の人が、
いきなり目の前から消えたんですよ?
まず不可解すぎて分からない。
ショックだし、人に言っても信じてもらえません。
きっとエリーズはリチャードを必死で探したでしょう。
でもいくら探しても見つかるはずがないのです。
二度と会えず実在も確かめられないリチャード。
それでもエリーズはその後も生き続けたんですよ、
1972年にリチャードに再会するまで。
なのに、リチャードは衰弱死なんですか?
しっかり生きてくださいよ、リチャード!

などと文句を書きましたが、
全体的に美しくてけっこう好きです。



ブログを開設します

今まで使用していた

Yahoo!ブログがもうすぐ終了となります。

そこで はてなブログに引っ越しすることにしました。

まずはこちらにブログを開設し、

今後 Yahoo!ブログから今までの記事を移行する予定です。

うまく移行できますように。

こちらのブログの使い方にはまだ慣れていませんが、

少しずつ慣れていきます。

恋は雨上がりのように


17歳の女子高生 あきらが
45歳のファミレス店長に恋するお話です。
だんだん好きになるのかと思ったら
1話目からすでに恋していました。

この店長、近藤さんは
ぶえっくしょん!!
と大きな声でくしゃみをし、
鼻を盛大にかみ、
寝癖でボサボサの髪をボリボリとかくと
ストレスの十円ハゲがちらりと見えます。
ズボンのチャックが開いていたりします。
クレームをつけてくるお客にはひたすらペコペコ頭を下げ、
威厳はなく、かっこよくない。
冴えません。
なのになぜこの冴えない店長が好きなのですか、
あきらさん。

人の好みはそれぞれですし、
あきらの趣味は若干変わっているようです。
サッカー部のハンサムな3年生には
全く気がついてないくらいですから、
かっこいい男性は眼中にないのでしょう。

しかし、美人だけどクールで愛想のない17歳と、
冴えないバツイチの店長ではどうしても
釣り合いがとれません。
しぶくてかっこいい中年なら
まだ可能性がありそうなのですが。
娚の一生』(西炯子著)の海江田さんとか
『長閑の庭』(ドラマ版しか見てませんが)の榊教授とか
しぶい感じの中高年男性が相手なら
恋愛もありかも、と思うのですが、
この店長が相手でなぜ???

つらつら考えるに、
17歳のあきらが店長に告白するから
爽やかな恋物語になるのであって、
これが逆なら?
45歳の店長が17歳のあきらに告白したら
・・・・
どこか妙な話になりますね。
爽やかにはならないでしょうね。

主人公は女子高生のあきらですが、
店長の視点で考えると興味深いのではなかろうか?
こんな若い女の子から告白されて
(これは冗談か、ドッキリか?)
と戸惑うのも無理はありません。
どうやら本気らしいと分かりましたが
だから、それでどうしたらいいのでしょう?
こんなに真剣に告白してくる
彼女を目にしていると
なんだか自分も高校生に戻ったような錯覚を起こして、
こんな気持ちは何年ぶりだろう?
と少しときめいたりもします。
そう思ったのも束の間、
自分は夢も希望もない中年だという現実に引き戻され
ときめきも何もかも即座に否定するところが
45歳の哀しいところですね。
はたしてこの二人の恋の行方はどうなるのでしょうね?
(2巻までしか読んでいません。)

いだてん

私たちの多くは、オリンピックでメダルを取らなかった選手に対しては関心がありません。
メディアもメダルを取った選手はいくらでも取り上げますが、
それ以外の選手はあまり取り扱いません。
スポーツを題材にしたドラマや映画では
苦しいトレーニングや試練を経て
主人公たちが優勝したりメダルを取ったりするのが
たいていクライマックスになります。
しかし、オリンピックでメダルを取らなかったアスリートを主人公にした場合、
どこをどう盛り上げてストーリーにするのでしょうか?
金栗四三が主人公と聞いても
「誰それ?オリンピックに初めて出た人?ふーん。でメダルは?」
という程度の反応になるのは当然でしょう。

アスリートは苦しいトレーニングを積んで、試練に耐えて
万全の態勢で大会に臨んでも
メダルを取れない人が大半です。
でも、その人たちにもドラマはあります。
最後に
メダルを取りましたー!
で終わる人なんかほんの一握りです。

もしメダルを取った人を主人公にしたとしても
宮藤官九郎さんは
メダルを取るシーンはクライマックスにせず
さらっと語って済ますのではなかろうか?
スウェーデンオリンピックの後、
金栗さんが世界記録を出したという華々しい成果については
宮藤さんは大々的に取り上げませんでした。
彼がじっくり描くのは別の部分なのです。

初めて日本人がオリンピックに参加した時
お金がなくて選手が自腹を切ったこと。
レーニングも選手のサポートも何もかも整っておらず
まるで勝ち目はなかったこと。
雪辱を果たすべくトレーニングに明け暮れるも
ベルリン大会は中止になったこと。
一番脂が乗っていてメダルが狙える時に
目標を奪われたこと。
多くのアスリートはこんな思いをしながら
競技を続けているのでしょう。
メダルが取れなくても挫折しても
人生は続いていきます。
金栗さんたちが味わった挫折があって、
日本のスポーツは前に進んできたのです。

当初の日本人は
オリンピックに参加するなどお金の無駄、
と批判されても仕方ない成績しか出せませんでした。
そんな状況でも50年先、100年先の日本のスポーツのために
奮闘する人たちがいました。
金栗四三嘉納治五郎や様々な人たちが
オリンピックの道を切り開いてくれたから
今の日本のスポーツの隆盛があるのではないでしょうか。

柔道や水泳で日本がメダルラッシュに沸くのを
金栗さんが見たら
何と思うだろうなあ。

狂女ファナって?

女王ファナ
(スペイン・イタリア・ポルトガル合作)

女王ファナはカスティーリャの女王であり
神聖ローマ皇帝の母。
父によって半世紀も幽閉され
「狂女ファナ」と呼ばれた女王。
そう言われると
果たして「女王ファナ」とは一体何者なのか
興味が湧きます。

とにかく愛の激しい女性という印象です。
1479年 カスティーリャ女王イザベルの娘として生まれました。
遠いフランドルに嫁いで行ったときは
内気な女性かと思いましたが、
ハプスブルク家のフェリぺと結婚してからは
あれれーこんなに欲望を抑えられない人なの~?
ちょっとお慎みあそばせ~
というくらい
愛が激しいです。
そして嫉妬も凄まじいです。
夫のフェリペは美男子で浮気者です。
あの美しさでは、
周りの女官も声をかけられたらホイホイとついて行くでしょう。
しかしファナは独占欲が強く、
泣き寝入りなんかしません。
どこまでも夫を独占しようとします。
もう、激しいのなんの。
嫉妬のあまり政治はほったらかしです。
とにかく狂おしいまでに夫を愛した女性の物語
と言えます。

『狭衣物語』にイライラ

家にある「日本古典文学全集」を処分している最中です。

あと数冊になったのを
読み終わったら捨てる
という作業をしています。
これがなかなか進みません。
狭衣物語』のせいです。

そんなに長くない作品なのに
なぜ進まなかったのかというと
読んでいてイライラしたからです。

この『狭衣物語』は『源氏物語』を意識したらしく
主人公の狭衣中将は
眉目秀麗、何でもできるスーパースター的なキャラクターです。
光源氏のようなキャラクターを描きだそうとしているらしいですが、
どうにも読んでいて腹が立つのです。

狭衣の行動はあまりにも無責任ではあるまいか?
光源氏も女たらしという印象でしたが
狭衣の方がよりひどいような気がします。
いやしかし、私は『源氏物語』をちゃんと読んだことがありません。
(『あさきゆめみし』くらい?)
こんな浅はかな知識で
「狭衣は光源氏よりちゃらんぽらん」
と断言することはできません。
(でも絶対狭衣の方が無責任男だと思います。)

どこがどう無責任なのか、
光源氏と比較してどう違うのか
そこをはっきりさせなくては
私のモヤモヤは解消しません。
ということで私は光源氏と狭衣を比較しようと思います。

そのためには『狭衣物語』をもう一度読まなければなりません。
別に誰に頼まれたわけでもなく
論文を書くわけでもないのに
なぜこんなことをしているのでしょう、私は。

しかし、狭衣がどんなに無責任な男なのかを
きっちり指摘しなければ
狭衣物語』を処分できません。
他に読みたい本がたくさんあるのに
なぜこんなことをしているのでしょう・・・

翔んで埼玉

2月は相撲がないので、久しぶりに映画館に行き
『翔んで埼玉』を見ました。
予告のチラシを見たときから
これは・・・!
と思っていましたが
期待を裏切らないバカバカしさです。
あんな宝塚みたいな制服はありえないだろ!
フランス貴族の宮殿みたいな校舎もありえない!
原作が魔夜峰央さんのマンガなので
とんでもない作品だろうとは思いましたが
実写化した監督はすごい。
マンガのような濃ゆ~いキャラクターだらけで、
真面目に考えると突っ込みどころだらけの粗いストーリーですが
そんなことはどうでもいいです!!
埼玉解放軍と千葉解放軍が
川を挟んで合戦をするシーンから
怒涛のクライマックスまで
大画面で見ると圧倒されるバカバカしさですよ!
ブラボー!!