かじさんのつれづれなるままに

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時間と意識  『うる星やつら 2 ビューティフル ドリーマー』

うる星やつら 2
ビューティフル ドリーマー


わたくし、別に『うる星やつら』のファンでもなんでもありませんが、
ファンでなくてもこの作品は面白かったです。

昔むかし、浦島太郎は助けた亀の背に乗って竜宮城へ行きました。
ところが竜宮城から帰ってきたら、村には何百年もの歳月が流れておりましたとさ。


この作品で興味深かったのは「時間」についての捕え方です。

友引高校が学園祭を明日に控えて準備の真っ只中というところから
話は始まっています。
毎度の事ながらドタバタ騒ぎが発生して準備ははかどらず、
生徒たちは連日学校に泊り込みで準備をしています。
しかし夜が明けて翌日がきても、学園祭の当日になりません。
ふたたび「学園祭の前日」で、生徒たちは準備を続けるのです。
登場人物たちはドタバタ騒ぎで気がついていないけれど、
どうやら「学園祭の前日」という同じ一日を毎日繰り返しているらしいのです。

北村 薫の作品の『ターン』では、主人公一人が
同じ日を繰り返すという異常事態に入り込みますが、
この作品では友引町全体が、「学園祭の前日」を繰り返しているようです。

最も惹きつけられたのは、謎のタクシー運転手のセリフです。


なまじ客観的な時間やら空間やら考えるさかい
ややこしいことになるんとちゃいまっか。

時間なんちゅうものは人間の自分の意識の産物やと
思たらええのや。
世界中に人間が一人もおらなんだら、
時計やカレンダーに何の意味があるっちゅうねん。
過去から未来にきちんと行儀よう並んでいる時間なんて
初めから無いのとちゃいまっか。
人間それ自体がええかげんなものやから
時間がええかげんなのは当たり前や。
きっちりしとったらそれこそ異常でっせ。
確かなのはこうして流れる現在だけ、
そう思たらええのちゃいまっか。


これは作中で謎のタクシーの運転手が言うセリフです。

時間は人の意識の産物 というあたり、
ずばり鋭いところをついているではありませんか。
私たちは時間が伸び縮みするのをしょっちゅう感じています。
退屈な仕事の時間はゆっくり流れるのに、
楽しい時間はあっという間に過ぎていきます。
時計で計る時間が「時間」なのではなく、
私たちの意識の流れそのものが「時間」の正体ではないでしょうか。



この作品は随所に印象的なシーンがちりばめられていて、それが
「町全体が奇妙な時空に入っている」
のをじわじわと感じさせます。

例えば、夜の町に買出しに出かけるシーンがありました。
深夜なのでひっそりと静まっていますが、それにしても
あまりにも静かすぎます。
交差点で信号待ちをしますが、角に立っている店だけに明かりが灯っています。
(それが、花屋らしいのです。
深夜に花屋だけに明かりが灯っているのは妙です。)
さらに妙なことに、ひと気の無い交差点を、
なぜかチンドン屋が通り過ぎていくのです。

他にも、路地裏を横切っていく風鈴売りのシーンは
幻想的でした。
こういった様々な印象的なシーンがそこかしこにあって、
この作品は独特の雰囲気をかもし出しています。