かじさんのつれづれなるままに

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きままな映画鑑賞~~『二十四時間の情事』

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二十四時間の情事

HIROSHIMA, MON AMOUR
59年 フランス


分かったつもりで分かっていない、何も

「分かったつもりで分かっていない、何も」というのは
この作品の中で女がつぶやくセリフです。
私がこの作品を見た感想を、ぴたりと言い表した言葉だと思いました。

例えば、女が男に故郷ヌベールにいた頃の話をします。
戦時中、18歳の彼女はある若者と恋に落ちました。
その若者は死んでしまいました。そういった初恋の話を
女は少しばかり語りました。
男は「君のことが分かってきたよ」とうれしそうに言います。
すると女は「何が分かったの? 言って」と
やや鋭い口調で聞き返します。
「誰のものでもない若い頃の君のことを知った」と男は言いました。
 男は、女が語る初恋の話を聞いて、彼女の素顔の一部を垣間見たように感じたのでしょう。
そして彼女のことを少しは理解したと思ったのです。
しかし女は複雑な表情でした。
男が理解したのは女のごく一部、あるいはごく表面でしかありません。
本当の私をこの男は分かっていない、そういう思いが女の表情には表れているようでした。
実際、このヌベールでの恋の話にはもっと深い傷が隠されていました。
その部分を知らずに彼女を理解したとは言えないのです。

人は、相手を分かったように思っています。
そして愛し合います。
実は分かっていないのかもしれません。
それでも愛します。


(この邦題はなんとなく気に入らないなあ。
「情事」という言葉の印象がよろしくないのであろう)