かじさんのつれづれなるままに

映画や読書 スポーツ(相撲)についてぼちぼち書き込むブログです

パラレルな世界

ずいぶん以前の映画ですが、久しぶりに見た
『スライディング ドア』(1998年)
について。

リチャード・バックの小説でたしかこういう話があったような気がします。
この世の他に無数のパラレルワールドが存在しているという話が。
 
私たちは人生の中で何度か岐路に立たされます。
右を行くか、左を行くか。どちらか一つを選びます。
右を選んだけれど、もし左を選んでいたらどうなっていたでしょうか?

普通は人生はひとつしかないと考えます。
しかしリチャード・バックの小説では、
私が右を選んだときに、実は「左を選んだ私」の人生もパラレルに存在しているということらしいです。
岐路に立つたびに、別の選択をした別の私の人生も存在するのです。
たしかそんなことが書いてあったように記憶しています。
 
『スライディング ドア』を見て、そのパラレルワールドのことを思い出しました。
 
ヘレンはある日会社をクビになります。
その帰りに地下鉄に乗ろうとして、わずかな差で乗り遅れました。
しかし、もしここでヘレンが地下鉄に間に合っていたらどうなるでしょうか?
その「もしも」のパターンが描かれます。
地下鉄に間に合った、乗り遅れた、というのは
ほんのわずかな差です。
しかしそのわずかな差でヘレンのその後は大きく違ってきました。
 
A.地下鉄に間に合ったヘレンはいつもよりかなり早く部屋に帰りました。
すると恋人のジェリーが浮気の真っ最中。
ジェリーとは絶交し、ヘレンはしばらく失恋の痛手に苦しみます。
 
B.地下鉄に乗り損ねたヘレンはタクシーに乗ろうとしてひったくりに襲われ、
ケガをします。踏んだり蹴ったりです。パターンAとは時間差ができたため、
ジェリーの浮気現場は目撃しませんでした。
ヘレンはジェリーの浮気を知らないまま同棲を続けます。
ヒモのジェリーの浮気のためにアルバイトをして
さえない毎日を送ります。
失恋はしなかったものの、だまされたままの生活を続けるヘレンは気の毒で、
いっそ失恋したAのほうがマシのように見えます。
パターンAの地下鉄に乗ったヘレンには新しい出会いがあり、
新しく仕事を始め、前向きな人生が始まります。
 
AとBのパターンが交互に描かれますが、
この二つのパターンは所々に同じ出来事がでてきます。
例えばAとBのヘレンが同じ店に飲みに来ているシーンがあります。
しかし、AとBではヘレンの気持ちや状況はかなり違っています。
わずかな違いによってこんなにも状況が違うということが
とても鮮やかな対比で描かれます。
 
二つのパターンが切り替わるそのタイミングが絶妙で、
注意していないとどちらのヘレンなのか混乱してきます。
いや、わざと混乱するように作られているのかもしれません。
要所要所で出来事が重なりシンクロし、
まるで二つの人生はお互いに響き合っているかのように見えます。
ひょっとしたらパラレルワールドの中の「私」たちは、
世界は違っても同じようなことを経験しているのかもしれません。
 
こういう人生があったかもしれなかった。
全く違うようでいてどこか似ていて、
違う道をたどっても、行くべきところに行きつくのかもしれません。